たまりば

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Posted by たまりば運営事務局 at

2010年07月19日

海の日

昔は、七月に旗日は無かった。あまり学校好きでなかった子供時代は、一日でも学校が休めないかと、あれこれ考えたものだが、大人になった今、休日や連休が増え、うらやましいったら、ありゃしない。学校って土曜日も休みなの?大学は別にしても、小中高の12年間の半ドン(懐かしー)まで登校した分や、海とかみどりなど、増えた休日分の時間を返して欲しいものだ。などと、考えてしまうことがある。こういうのって、ストレス蓄積気味のとき頭の中で考える分には自由だけど、文章にすると、「地球よ、自分を中心で回れ」って言っているようなものだと気づいてしまう。本を読むことや、文章を書くことは、自分を客観視する力が付くことに改めて気づきました、特にこのブログをはじめてから。





小さいころ、親から本を読め、とよく言われ。素直だったわたしは・・・、(すみませんうそです。学校に行くよりも、一人で本を読むほうが好きでした)、姉が買ってもらっていた、たくさんのお古の本を読んでいました。なかでも、ボリュームのあった世界の少年少女文学全集は、とても楽しく繰り返し読ませてもらった記憶があります。しかし、子供だったわたしは、本の中の人間ドラマだけに熱中してしまい、前段で書いたような、客観視に気づきませんでした。やっとこの年になって、少しばかり身につき始めました。でもね、会社経営やっていると、「なんだ、また旗日か」、なんて思ってしまうこともしばしば。特に、新しい年末のギリギリの休みはちょっと・・・。まだ、自分を冷静に外から見ることが出来ません。

※本文と写真関連ありません。あとで差し替えますね。  


  • Posted by 千代吉 at 08:08Comments(2)思ったこと

    2010年07月12日

    歴史みたいな話

    最近、立川の国文資料館図書館にある、江戸末期から明治初頭の時代に書かれた、古書というような書面にはまっている。(カードを作ればだれでも閲覧可)添えられた少量の解説書を元に好き勝手に解釈し、かつ、膨らましながら今から150年以上前の庶民生活を空想しているのである。
    江戸中頃、信濃の地に百姓をしていたモノあり。やはり家を大きくするものは天分の才があるのか、田畑を作る腕秀でてそれを広げ、その出来の良い年に米を残し百姓の手が空く農閑期に酒を造り始め、これも同様の才覚で好評を極め、すぐさま銘酒となる。村の百姓からは手隙な冬場の収入に、お上は上納金にそれぞれ喜び、そのモノかの地の名主となる。ある年、日照りが続き米の取れ高も少なく、村内外食うや食わず状態となる。どの村も同じ状態のためお上はいつも以上の年貢を求める。このモノ、厳しい年貢に憤った百姓どもを制し、不作ながらも酒造のため家のものも食すのをひかえ蓄えたわずかの米を、お上のみならず百姓にも与え、騒ぎを鎮めることに成功、かの地でますます信を得る。





    なんていうことが書いてあるようだ。もともと秀でている商才それに加えて、百姓とお上のつなぎ役としての手腕により、その村の年貢の管理・口(人口)の出入りなどを帳面にまとめるなど、現在の役所に近い業を行っていた名家のようである。古文書より、名主そして庄屋へと家を大きくしていく様が見られる。江戸中期から、先祖代々書きとめいていた帳簿・書き置きがしっかり300年ちかく残っているのだから、それだけでもすごい。
    親から子にしっかり教育を施し、家を守ることの重大性を申し伝えることが何代にもわたって出来るとは、名家になる家系には、元々の祖があるということか。うちがビンボーなわけがよーくわかった。2010年の今、その地をグーグルマップで見てみると、そのモノの姓で、駅前に○○医院だとか、コーポ○○とかがたくさんあります、ヤッパリ!

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  • Posted by 千代吉 at 08:08Comments(0)立川の謎?の施設

    2010年07月05日

    荷風

    今年の冬「墨東綺譚」を読んだ。ちょうど没後50年で版権失効が影響するのか、古本屋に何冊も在庫があり、価格も50円で、エンピツで書き込まれた前所有者コメントに笑わせてもらいながら、手にいれた。若い頃にも読んだが、そのときはあまり何も感じなかったのに、今回はなんか違った。面白かったし、いろいろ考えさせられた。もちろん鉛筆書きのコメントは影響していない。短い文字の中に、季節感とか、昭和初頭の情景とか、男女間の粋とか、いろんなものを深く取り込んでいる。いらない部分が見当たらないくらいにそぎ落とされている、にもかかわらず読んでみると、ここは何のためのあるの?なんて感じてしまう不思議な本だ。やはり荷風さんの文章は、芸術なのかな。





    朝7時少し前に、教育テレビでJブンガクという、渡辺謙の娘さんがアシスタントをしている番組で、この小説が取り上げられてビックリした。朝から永井荷風だ。サッカーに飽きたのでチャンネルを回していたら、見っけてしまった、読んだばかりの本が取り上げられるなんて、これも縁だろうか。小説のキ-ポイントを取り上げ解説する内容だが、前半の山場、男女間のやり取りを、あさ7時前に解説している。しかも、いいポイントを付いている。渡辺杏さんも、臆することなくコメントしている。どうやら本もしっかり読んだような回答だ。司会のキャンベルさんちょっと意地悪な問い掛けも、うまくかわしている。翌々日の主人公が女性を振るところの解説なんか、男の人はエクスキューズがお上手・・、なんてコメント。最初はこのモデルの女の子に解説できるのかな、なんて思ったけど、結構ちゃんと読んで理解しているご様子。私も彼女と同じくらいの年令の時に、この本を読んだけど何も感じませんでした。子供だったのかな?女性のほうが早熟なのかな?時代なのかな?どちらにしろ、朝っぱらから、若い女性にこんなコメントさせる荷風先生は、やはり偉大です。あっ、これ、深夜番組の再放送なんですね、まっいいや。
    写真は吉祥寺にある老舗の古本屋。ここはお値段がやさしいんです。

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  • Posted by 千代吉 at 08:08Comments(2)思ったこと

    2010年06月28日

    仕事

    世間さまに出させていただき仕事をするようになって、30年近く経つ。サラリーマン数年と、自営業が残りの大部分だ。まぁ、当事の多くの人々と同様に、自分のペースで仕事をしたいマイペースで生きたい、という気持ちが人より若干強く、20台後半に自営業を始めた。当初は自分の時間 ―本を読んだり、テレビを見たり― を、たくさん持ちたくて、自営したわけだが、すこしばかり甘かった。バブルが終わり、経済成長率がガクンとさがり、社会保障費用が上がり、最後には100年に一度の危機である。自営業者には厳しい20余年であった。最近は少し成長したようで、自営業やっている以上、自分の時間はもてない、時間は自分で獲りに行くものと気がついた。





    ゴルフや飲み会が楽しいのは知っているが、不義理ではあるかもしれないが、極力遠慮をさせていただき、自分の時間とさせていただいている。幸か不幸か私には子供がおらず、自分のやりたいことに集中できる環境にもある。さて、で、やりたいことである。今は、学生時代のように、休日は図書館に行き、本を借り、コーヒー店で空想を交えて読みふける。これだけだと、僅かな飲み会でうんちくが増えるだけの、ただのじーさんになってしまうのでこれじゃいけない。やはりある程度の負荷とか目標などがないと人間はずるけてしまうので、どうにかをせねばと考えている。そこで始めたのが、毎週800文字程度のブログであり、週二冊程度(基準甘し)の読書である。読書はボリュームなどを落とすなどすればクリアできるが、ブログはまだペースがつかめないうえ、頭が原稿書きに慣れていないため少し苦労している。最終的には、人とは違った形での長期旅行―半年から一年位―とこれを楽しく書き残せることを、小さな目標としている。あっ、自営業や経営者を目指している人に、希望のメッセージもありますよ。定年とか、リストラとかありませんからね、その面の心配は無い生業ですよ。死ぬまで一生働けって?ドキッ!

    立川の街もここ10年で激変しましたよね、とくに(ペイストリアンだっけ?)デッキが出来てから
    イメージがからりと音を立てました。
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  • Posted by 千代吉 at 09:31Comments(0)

    2010年06月21日

     先週、父の十三回忌をおこなった。大正12年生まれの父は、75歳で鬼籍に入った。語ることを良しとしない世代なのか、ただ単に話すのが苦手なのか、父自身の生い立ちや人生観などの、濃い内容の会話をした記憶があまりない。人の顔を見ずに独り言のように、物事を言う人間で、目を見てきちんと話した記憶が、最後の「母を頼むぞ」しかない。一度目の癌の時も、こちらから声をかけづらそうにしていたら、独り言のようにそっぽを向きながら、「まぁ、運命だから」なんて言ったきり黙って、本を読み出してしまった。父の年代は、戦争体験や不治の病など、いつも死が身近にあり、来たるべき運命を回避することなく、受け入れるしかなかったのかもしれない。父と違い、しゃべりを苦手としておらず、おまけに健康体である私だが、あの時父が言った「運命だから」がとても重く感じることがある。





     若いときの私は、自分に非のない仕事上のトラブルがあると、強烈に「我に非あらず」と強調していた。少し年を取ると、その行為が回りの誰か苦しめることに気づき、強烈でない強調に変わり、やがて、きちんと諭すことが必要であると気づき始めた、もちろん実践はできていないが。さらに最近、非あらずを、そのまま受け入れてしまってはいけないのか、と考えるようになってしまった。信用失墜などの心配も、非がないことは説明しないでも、ほっとけばわかるはず、と考えるようになってしまった。どう取られようが、それが運命なのだから、って。父と私が生きている時代では、命が関わりづらい分、運命の重みが軽くなってしまったかな?いやいや、これから老いて、病気にでもなれば「運命」を痛感するのかな。もっと若く、リセットボタンでゲームをやり直すことを知っている世代はどうなのだろう。もう運命なんてことばも使わないのかな。  


  • Posted by 千代吉 at 08:08Comments(2)思ったこと

    2010年06月14日

    やるな!

    日曜日の朝は、喫茶店に行きコーヒーを飲んでいる。ゆっくりできるので、開店直後の時間に行くことが多い。すると、早朝にもかかわらず、店内にはテニスラケットを持ったご夫婦や、家族連れで結構賑わっている。隣に座る、はたちくらいのカップル。男は髪の毛が長めで、メタボ系。ちょっともてるタイプに見えない。女性は背も高く、オメメもきれい。ここで書くのが悔しいくらいの美人さん。それぞれ、男は左手薬指に、女性は右手薬指に揃いの指輪をしている。しかしどう見ても夫婦ではない、カップルである。女性の右手薬指リングになにか意味があるのだろうか。





    聞き耳を立てるわけではないが、聞こえてしまう。W大学政経とか、教育実習五週間とか、○○教授の授業とかの話しをしている。優秀そうなカップルだ、少しうらやましい。歳を取ると、自分の時代と重ねたりして、ますます惨めになるのだが、私はそこから逃げる術を手に入れている。彼氏になりきるのだ。女性の話に耳を傾け、ここで相槌を打ち、ここで話を聞き、ここは自分の意見を言うところ、などと、勝手に仕切ったりしている。無論、心の中で、だ。すると、お勉強はこの若者には勝てないにしても、女性の扱いに関しては、結婚もしているし、幾度か痛い目にあっているので、一日の長を持っている・・・つもりである。女性が、実習先の上履きの話をしている。ここは男としてはどうでもいい面倒な話なのだが、若い女性には切実な問題なので、丁寧なアドバイスを、と心の中で叫ぶ。と彼氏、「他人の上履きと取り違わない程度に、目立たない色で、形を選んでみては」などと、ナイスなアドバイス。以後も、この彼氏、俺の思惑どおりかそれ以上に、話を聞くときは、きちんと聞いて、意見を述べる時はきちんと述べている。述べる内容もナイスなものが多い、や・やるな。それとも、女性の機嫌を損なわない様にお話するには、これしかないのか、しかし何故それを理解している若者よ。いろいろ教わる51才の日曜日朝でした。でも負けは認めないモンね。

      


  • Posted by 千代吉 at 09:18Comments(0)思ったこと

    2010年06月07日

    国文学研究資料館

    行ってきました昼休みに。それにしてもいつの間にできたのだろう、いつ越してきたんだろう?ソバ持って挨拶に来てくれないからわかりませんでした。昨年から工事をしているのは気がついていましたが、ずーっと裁判所の建物を造っていると勘違いしていました。入り口に極地研究所とか統計数理研究所などの表示がされている。ひとつの建物を共同で使用しているのかな?事前のネット調査ではわからなかった、見落としただけかな?まぁ、エントランスの展示は時間内なら見学できますよってことだったので、思い切って敷地内に入ってみました、クルマで。あれ?駐車場どうしよう?左側のゲートの付いた駐車場入り口にあるインターホンに「あの、見学をしに・・」といったら「いいですよー今、開けます」簡単に開けてくれました、いつもこうなのかな?駐車場にクルマをとめて館内に・。なんかある、ペンギン剥製だ。南極観測船しらせのミニチュアとか、昭和基地の模型とか、こっちも面白そうだが、今日の目的は国文の方と思って、振り返ったらうしろにのショーケースの中に信濃の國○○家目録とかがありました。やはりひとつの建物を各施設で共用しているようです。どうしても最初はペンギンに目が行ってしまいます。目録やらのはいったショーケースに目を戻すと、その前に図書館らしき部屋があり、どうやらそれが国文学研究資料館の図書館らしいです。その方面の専門書をたっぷり蔵書しているのでしょうね。専門家にはたまらないのかもしれませんが、門外漢には入室もビビッてしまう雰囲気です。洒落で利用者登録手続きでもしようと考えてきたのですが、固まった足が動きませんでした。



    図書館横に展示室があり、不定期ですが展示などを行っているようです。当日は「江戸の歌仙絵」の展示をしていました(スミマセン二月に書きました)。無料なので早速入室しましたが、歌仙絵ってなに?状態。帰ってから調べたら「和歌に秀でた歌人の画像」とのこと、どうり達筆な歌仙(?)に見事な挿絵(版画)!それも200~300年も前のものでその技術にびっくり。日本のアニメの基礎はここにあり、とか、思ってしまいました。誰もいないと思っていた平日の展示室に数人の見学者がおり、それにも少し驚きました。目の前にある立川市役所が完成したようですし、これから見学者も増えるかもしれませんね。

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  • Posted by 千代吉 at 08:08Comments(0)立川の謎?の施設

    2010年05月31日

    新天地

    羽衣新天地をご存知だろうか。私は知らなかった。現在の羽衣町一丁目界隈で、都内(当事は市内)にあった遊郭が、空襲で焼け出されたり、拡張する軍施設用地への提供のため立ち退かされ、軍の施設があり、その手の需要を求めていた立川に移ってきたようだ。ようだというのは、立川史のような本にこの地名の記載のあるものは見当たらず、立川の中央図書館で、それらしい本を探したが探し方が悪いのか、見つからなかった。新天地の写真はあったのだが、説明文はそのことに触れておらず、「朝靄の立ち込める羽衣町界隈」などとなっていた。ネットでも、僅かに掲載されているにとどまっている。終戦間際の昭和20年から、30年代の売春防止法施行までわずか10数年の間にどれだけの人間がここに訪れ、住む人々はどのような生活をしていたのだろうか。私の目にした資料によると、終戦直後の調査で、この場所だけで50人を越す女性達が在籍し、終戦直後は立川基地に駐留していた外国兵たちが大挙して押し寄せるとともに、後年では発展する立川を訪れるさまざまな人間達でかなりの賑わいを見せていたようだ。その資料には、良家の子女を進駐軍から守るため、人間堤防として、閣議で女性達の調達を決めた、などの記載もあった。本当であろうか。



    現在の、元・新天地は、普通より巾の広い道路が目立つもののごく普通の住宅街で、商店など目立つものはない裏通りである。ここに夜な夜な数百人の人間が訪れ、それぞれの夜を過ごしていた地にはとても見えない。過ぎた時計は元に戻せるはずもなく、当時の痛みを現在労わる事は出来ない。せめて、当事の女性達が思いのほか、気丈で明るく暮らしていたと信じたい。当事、多摩地域には、立川の錦町にも同様の特飲店街があったほか、時期は前後するようであるが、八王子、調布や福生に「赤線」と呼ばれる施設があったようである。

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  • Posted by 千代吉 at 17:17Comments(0)思ったこと

    2010年05月24日

    ファーレ立川

    1994年に完成した当事は、現代アート君たちを見て、「ちょっと違和感あるなー」が率直な意見であった。しかし、十年以上の時間が過ぎるとすっかり街に馴染み、もし、なかったらと考えると寂しい気分になるから不思議だ。一時、年月による痛みが見受けられ、補修しないのかと思っていたところ、費用や作成者同意の問題などで、思うように補修出来ないという記事を眼にした。しかし、最近見ると結構きれいになっているので、うまくまとまったようである。いたずらもに関しても、両さん銅像同様、目立つものがあるとどうしても、傷つけられてしまうのですが、最近は減ってきた様で、こういった面でも街に馴染んできたのかもしれない。



    一方、手の届かないところにあるアート君たちは、いたずらに合うことはないのですが、強い日差しにやられて、色が薄くなっているものが多かった。私のお気に入りも、そんなひとつで、数年前は消えかかるほど薄くなっていたのに、最近きれいななった気がします。塗装をしたのかな?もしそうであれば、この建物は個人のビルのはずですから、オーナーが自前で補修したのでしょうか。芸術の維持も大変ですね。
    維持管理以外にも、ボランティアさんによる、アート君たちの無料ガイドや、映画などの撮影に、利用してもらう働きかけをするなど、立川市のシンボルとして盛り上げようと頑張っているようです。まだ、無料ガイドを体験したことないので、友達でも誘って、一度お願いしようかな。

    一定の方向から見ると丸になるオブジェ。名前あるのかな。ネットで調べましたがわかりません。

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  • Posted by 千代吉 at 10:10Comments(0)

    2010年05月17日

    道の駅 八王子滝山

    新しく出来た道の駅八王子滝山に、いまさらながら行ってきました。都内は初の道の駅。出来たのは何年前だったかな?道の駅フェチなので全国各地のこの施設に行っていますが、八王子とはいえ地価の高い都内だけあって、施設本体も駐車場の規模も地方の道の駅に比べるとちょっと手狭な感じは否めません。しかし、一歩店内に入ると、近所在住らしきおじちゃん・おばちゃんが頑張ってスタッフしている姿がほほえましく、おもわず心の中で「ガンバッテください」って。地のものらしき特産物に農産物、さらには貸しホールなんかもあるようで、楽しそうなスペースとなっています。レストランはお値段はちょっと高めかな?でも観光地価格ほど高くはありません。量が少な目?カレーを食べたが足らなかったので、ラーメンを、さらにはお焼きまでいただきました、おいしかったです。量が少なめなのではなく、ただ単におなかが空いていただけかもしれません。・・・でも、ちょっと食べ過ぎた。



    この日は仕事で近くまで行った上、時間もちょっとあったので立ち寄って食事までいただきました。前の道も最近できた立派な道路です。将来近所にショッピングモールの計画があるなんていういう話も聞きました。このあたり昔は狭い道路しかなく、不便で狸が出そうなくらい田舎だったところなのに、こんなになるなんてビックリです。写真はフードコートでいただいたベジタブルカレー。天気のいい日は外のテラスも気持ちよさそう。でも外で食べていいのかな?第一駐車場に隣接して第二駐車場もあるようですが、ウィンドウに長時間駐車おことわり、のような紙が張ってあるクルマが結構ありました。ここにクルマをとめてどこに行くんだろう?八王子の街まで行くのかな?でもちょっと遠いぞ。待ち合わせか何かして。クルマを置いてってしまうのかな、ちょっとギモンです。

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  • Posted by 千代吉 at 09:09Comments(0)そとメシ

    2010年05月10日

    商人の子

    旅先は有名観光地も悪くないが、混雑嫌いの性分故、大型連休は普通の土地に出かけることが多い。最近のお気に入りは琵琶湖の東岸だ。大津まで行くと都市部になる上、京都が近いせいか混雑が激しい。北琵琶湖方面も情緒があって良いのだが、あり過ぎてちょっと寂しい。そこで彦根から近江八幡あたりの普通の町に宿をとることにしている、このあたり昔からの街道筋のためか宿が多いのだ。さらに水と米がよいため造り酒屋も多く私をひき付ける。数ある酒屋の中にひときはおおきく、みやげにもってこいのうまい酒を置いてある店があり、よく利用させてもらっている。街道から少し入ったところにあるにもかかわらず、混むというほどではないにしろ、ひっきりなしに客が居る。酒を選んでいると、30少しくらいの、教員風の女性がなにかの行事に要するのか、まとまった数の酒を注文し始めた。



    店番は私と同年代のおかみさんひとり、待たされることを覚悟してゆっくり店の中を見学していたらどこからか、はたちをようやく超えたくらいの顔立ちがおかみさんによく似た娘さんらしき女性が、きれいに化粧をした姿で現れ、私の注文を取ってくれた。味の質問をしても「辛目ですが、口当たりが良いといわれるお客さんが多いです」とやわらかな近江弁での答え。代金のやりとり、包みの手さばきなど、最初の一瞬は「忙しい時だけ手伝います」のような顔をしていた様に思われたのに、客を前にするときちんと対応してくれる。日頃の両親の教育に加え「三方良し」の近江商人の血がしっかり流れているのか、ひときはおおきなこの造り酒屋の佇まいに納得した。買い物を終え、数本の酒を車に積み終え駐車場から出ようとしたら、先ほどの娘さんが春コートをひっかけ、大急ぎでバス停にかけっていった、なるほど。
    ※写真は宿の近くで、一時期解体騒動にゆれた旧豊郷小学校。

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  • Posted by 千代吉 at 08:08Comments(0)思ったこと

    2010年05月03日

    いきものがかり

    毎朝、早歩き程度のスピードですがジョギングをしています。走るようになってから、携帯ラジオやデジタル音楽プレヤーなどで音楽を聴いたリすることが増えました。カセットウォークマン世代に、iPodの軽さや安さ、その多機能さには仰天します。どこにこんなにたくさん曲が入っているのか理解はしていても、納得できません。iTunes(?)の使い方に悪戦苦闘していますが、とっても便利に利用しています。若かりし頃よく聞いたラジオも、ずいぶんご無沙汰していましたが、走るようになって聞く機会が増え、息子や娘ぐらいの年齢の子たちがやっている音楽を耳にする機会が増えました。メンバーの年齢などを聞くと、あらためて自分が年取ったなーと感じてしまいます。それにしても次々と、いい音出しているお兄ちゃんお姉ちゃんが続々出てきますね。つくづく感心しちゃいます。



    「いきものがかり」曲調がなんとなくクラシカル?70年代の歌謡曲とかフォークのかぐや姫っぽい感じがして、安心して聞けます。ボーカルの女の子の歌もお上手だしね。曲作りはは右?左?の男の子がやっているのかな?たぶん親御さんのどちらかが私と同年代で、子供の時から70年代ころの音楽を聴かせていたんだろうな、なんて思ってしまう。でもちゃんと現代の若者にも受けているみたいだから、やはりこのグループ、いいもの持っているのだろうな。昔っぽい曲調も今の子達には新鮮なのかもしれませんね。アルバムはこれでたしか三枚目、どれも気に入っています。そうそう、CDって、初回限定版とか通常版とかあるのですね、そんなこと知りませんでした。店員の女の子に丁寧に詳しく説明してもらい理解しました。あっ、なんで発売直後のアルバムはダウンロード購入できないのか聞き忘れた。楽曲は昔風でも、ハードは今の時代。レコード世代には、わからないことが多すぎます。昔のレコードは録音にたっぷり時間がかかったのに、いまはちょいちょいで終わっちゃう。便利なのは間違いないが、なんか寂しい。私の場合は、立川パークアベニュー店にあるHMV立川が一番便利、お店も広いしね。

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  • Posted by 千代吉 at 08:08Comments(0)ミュージック

    2010年04月26日

    クルマと自転車とメガネ

    Windowsが便利になった40過ぎの頃から、パソコンの前に居る時間が増えた。それと比例するように、ものが見えにくくなり47歳の時の健康診断で、両眼とも視力が0.7に落ちており、前年までの46年間を視力1.5で過ごしてきた私にはちょっとショックであった。近視以外の疾患なども懸念し総合病院の眼科にかかったが、結果はやはり近視。医師曰く、以前は40歳過ぎで近視にはならないといわれていたのだが、近年パソコンなどのせいで、中高年から近視になる方が増えてとの話。一番困ったのは、クルマだ。明らかに運転しづらい。スピード感についていけない、視野が狭い。わたしは結構クルマ好きで、移動=クルマという考えしかなく、年間二万キロ以上乗っていたのだ。今のクルマで北海道も九州も行った、これは不便になるぞ、だったのですが・・・。



    同時期に、ミニベロというジャンルの自転車を買った。ちょっとおしゃれでお値段もそこそこしたものだ。最初はさほど使うことも無いだろうという軽い気持ちで買ったのだが、ゆっくり走る自転車は視力の落ちた私にも充分乗りこなせるし、座面が高いせいか視野も広く感じ、結構活躍している。パンク修理もお手の物になった。自転車に乗れない雨の日であっても、少し早く起きて電車やバスで通勤している。休みの日も昭和記念公園に自転車で行くことが多く、まったくクルマを使わなくてもストレスがない。こんな生活があったのだ、むしろ新鮮ささえ感じている。小さい子供や体の不自由な高齢者が同居していたら、こうはいかないのだろうが。今のところ私の生活にクルマは必要ないようである。だからとて10年愛用したクルマをすぐ処分する度胸も無く、定期的にエンジンをかけたり、天気の良い日は少し乗ったりして、調子を維持している。走行距離は17万キロを越えた。それにしてもテレビの画面が見えにくくなってきた、自転車に乗るにしても、そろそろメガネの手配が必要かもしれない。今年の人間ドックは昭島にある徳州会病院に行った。病院内をあっちこっち移動しながらの検診にあきれるが、先生・看護婦さんが親切なので救われる、来年もここにしようかな。※写真は待合室のコンセント。気になるな、こういうの

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  • Posted by 千代吉 at 08:08Comments(0)生活

    2010年04月19日

    本選び

    こんなブログを書くだけあって、趣味のひとつに読書がある。子供の時からそれなりに読んでいたし、その頃から現在まで何度も読み返した愛読書も何冊かあるし、お気に入りの作家も居る。しかし知らない作家やその作品を選ぶ時、どうやってきっかけをつかむかがなかなか難しい。万人が面白いという超ベストセラーは別にすると、好みの分かれる微妙な作品などは読み手によって映画やテレビ以上に、好き嫌いが分かれるような気がする。本というものは映像で見えない分、状況を頭の中で自由に空想でき、とらえ方による印象差が激しいのではなかろうか。それだけに微妙な本の書評などは、ある程度しか参考にならない、ましてや空想の部分を大事にする私には人の書評をあてにしないことが多い。



    さて、本選び。写真の様な店頭の売れ筋ベスト10みたいなものも参考にすることもあります。しかし本に限っては、良いものはいつの時代でも良いという古臭い考えが、頭の中にあり、流行のものを買うことに若干の抵抗がある。こうやって写真にとって数年後、文庫になった時に買ったりすることも多い。もうひとつの選択方に芥川・直木・谷崎・吉川などの各賞の入賞作品や候補になった数編を選んだりすることもあります。お気に入りは2004年から始まった本屋大賞だ。これは書店員が一番売りたい本をうたっているだけあり、読みごたえのある作品が多いうえジャンルにこだわりが無く、読んだことのない作家に触れるにはもってこいの選択方法だ。書店のポップを参考にすることもありますが、これも書評と通じるものがあると同時に、少しばかり営業目的が入っていることがあり、あまり過大評価せず「ダメモト」程度で考えています。写真はモリタウンのくまざわ書店さん。店によってはベスト10コーナーがグッズ置き場になっているお店も多い中、ここはしっかり充実しています。

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  • Posted by 千代吉 at 08:08Comments(0)

    2010年04月12日

    電子パーツ

    ひとむかし前、立川近辺で電子部品の購入といったら、ここ杉原電子だった。携帯電話の普及や家電製品の複雑化の現在では、アマチュア無線とか、家電製品の部品を買って、自分で修理といった時代ではないのでしょうね。ここには部品だけではなく、用途不明な工具や、プラスチックのボックスとか、アンテナ部品、はては、何に使うかさっぱりわからないパーツが所狭しと、置いてありました。当時の私はアマチュア無線をやっていましたし、パソコン本体や周辺機器などを、自作するのが好きでよく利用しました。私の周りからこれら自作品がすっかり姿を消したはところをみると、腕が悪かったのかな。それとも、企業が製品として販売したモノの方が優秀で長持ちするのかもしれません。



    何オームの抵抗とか細かな接続端子、自作用アンテナの部品。何時間もお店の中をうろうろしていた記憶が懐かしい。あの頃から、どう見ても店頭販売は採算は合わないだろうなと思っていました。だって一個10円くらいのものの販売に店番の人が居るんだもの今の時代じゃなくてもキツかったでしょうね。それとも、電子メーターなど他の製品販売で成り立っていて、こういった部品販売はオマケだったのかな?秋葉原も良く行きましたが、あそこに行く時は気合を入れなきゃ手に入らないものを求めていきました、ここはちょっと探し物って感じで良く利用させてもらいました。昔はここ以外にも、国分寺や八王子など、多摩にも数店こういったお店があったのですが、最近はまったく行っていないのでわかりませんが、どのお店も同じような状態だろうな。写真は閉店した店舗。会社自体はは羽衣町に移転し営業中らしいです。ただし店頭でのパーツ販売はやめたみたいです。(杉原電子HPより)

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  • Posted by 千代吉 at 09:09Comments(0)立川の謎?の施設

    2010年04月05日

    さくら

    昔、父の仕事の関係で東京から岐阜に引越しをしたことがある。当事小学校三年生に上がる私は、生まれてはじめての転校を経験することとなった。それまでの東京の学校が楽しかったというわけでも、多くない友達との別れが悲しいであるなどの理由よりも、知らない土地に行って生活をするという、目に見えない不安感に心の中が埋め尽くされ、黒い塊になって子供の私に覆いかぶさってきた記憶がある。おそらく母や父が不安を少なくするような言動をしていてくれたのであろうが、あまり記憶に無くただつぶされそうな日々が続いていた。東京を出る日は、四月にもかかわらず、真冬並みの気温で、凍えるからだがいっそう不安を募らせる中、見知った街を後にした。





    開業間もない新幹線や名古屋の私鉄を乗り継ぎ、岐阜県内の街に到着した。私の見知った街とは明らかに違う、空間の多い景色や土の色。青空の色さえ違って見えた。不安がいっぱいの子供心に、本来喜ばしいはずの空き地という遊び場だらけの駅前は悲しく感じた。ただ、東京と違いこの日の東海地方は暖かく春らしい日であったことが救われた。そこからタクシーに乗り30分ほど走ったところに、父の勤め先が用意した住宅があった。向かう車中不安による睡眠不足と暖かさが重なりすっかり寝込んでしまった私は、着いた、という母の声に眼を覚ますと、目の前が見事な桜並木であった。満開であった。国内を数時間移動しただけで天候や咲いている花の様子がこんなにも変わることを知らなかった子供の私に、目前の桜の花が何かを教えてくれたような気がした。これから知らない学校に行き初めての先生や友達と会うこと、知らない土地の暮らしになじむことなどの不安が、ここも東京と同じ桜が咲く土地であることを知り、少し不安が消えた、と同時に私の中で一生一番の桜となった。住まい近くの玉川上水の桜も満開になった。二十余年同じ場所で桜を見られるのも、私には初めての経験である。

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  • Posted by 千代吉 at 08:08Comments(0)思ったこと

    2010年03月29日

    10.19

    縁があって、元近鉄の左腕エースである阿波野さんの講演を聞いてきました。1988年10月19日、通称10.19。当時のニュースステーションで特別実況されたあの試合、大事なところでロッテに同点ホームランを浴び、うなだれている姿が痛々しかった阿波野投手です。スポーツキャスターとしてテレビに出ているのは知っていましたが、その番組を見たことはなく、講演なんてできるのかな?なんていう思いで開始時間を待ちました。近鉄球団による突然の一位指名の話や、故仰木監督の話など、大げさになりがちなお話を、遠慮がちに淡々と話を進めている阿波野さん。プロ選手はプライドみたいなものを強く持っていて、自身の活躍したあたりを誇張しそうなものだと思うのですが、フツーの方、もしくはちょっとした研究者みたいな語り口をされていました。最後はちゃんと自前のグローブ・ボールを用意し、会場にいた方を相手に即席キャッチボール教室まで開催してくれました。んー、いい人。なんといっても、指名挨拶のない球団に入団するくらいですからね。



    帰りのエレベーターも、お見送りの方を丁寧におことわりし、一人でエレベーターに乗り込むところに、えいと同乗したわたしが「楽しいお話でした」と話しかけても、「いえいえ、皆さんの準備のおかげで私も楽しませていただきました」と言う内容のお答え。一昔前、対西武戦のため宿泊していた今日と同じこの立川のホテルを闊歩していたこともであろうこの方が非常に身近に感じ、私の中で元プロスポーツ選手のイメージが変わりました。歴史が長く競技人口が多い野球、案外このような方が多いのかも知れません。講演場所はパレスホテル立川。よく会議などで利用させていただきます。清潔感がありスタッフの方々がとても親切なホテルです。

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  • Posted by 千代吉 at 08:08Comments(0)思ったこと

    2010年03月22日

    つばさ家

    最近は外食が減ってしまい、食べ物のレポートなんてできるかな?情報も人より古くないかな?なんて気にしながらも、立川駅北口のつばさ家さん。北口DOCOMOショップの裏手で、よく行列を見かけるお店です。店内が狭い上、一人調理のため行列ができているようですが、結構手早く作り上げており、思ったほど待たされない印象があります。ここは食券制なのですが、わたしはいつ行っても食券買うタイミングがつかめません。行列の先頭になったら、買うようにしているのですが、私の後ろに並んでいる人が先に買ったりして、緊張感が漂ったりします。次回は早めに券を買おうと思うのですが、いざとなるとなかなか難しいし、店長さんおひとりなので、券先?って、なんだか聞きづらいし。



    ラーメン店鉄則(?)の券売機左上のラーメン650円。多くの家系がそうであるように、ここも麺量とトッピングの量の変化だけで、基本どれも一緒ですね。私の注文はいつもフツーの「ラーメン」。混んでいて狭いお店だけれど、店長さんの人柄がよさそうだし、この価格なので充分満足。立川の街は家賃高いから650円じゃ大変では?なんて考えてしまいます。さて、味。昔よく遊んだ友達が、横浜の白楽に住んでおり、すぐ近くに六角家がありました。三十年位前にあのラーメンを食べた時は、その臭さに閉口したものの、味わったことのない醤油トンコツの味に仰天したものでした。今ではポピュラーになり、あちらこちらで家系のお店を見るようになり、醤油トンコツが舌にもなじんできました。だとしても、ここは結構正統派というか、昔の六角家っぽい味で好感持てます。ちょびっと出来のムラがあるときもありますが許容範囲です。この味で650円だと、どうしても南口方面に行く足が重くなります。(ネットで確認したらメニューにつけ麺もありました。つばさ家さん武蔵境店もあったんだ)

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  • Posted by 千代吉 at 08:08Comments(0)そとメシ

    2010年03月15日

    昭和記念公園

    立川には20年以上住んでおり、この公園が近所にあるのは知っていましたが、一度も行ったここがなかったのです、数年前までは・・。しかし年間パスポートができた2005年くらい?から頻繁に行くようになり、いまは園内の案内ができるくらい詳しくなりました。パスポート以前は一回400円の入園料が高く感じたのですが、年間4000円となると得をした気分で何回も通うようになり、すっかり魅力にはまっています。一番好きなシーズンは、11月の中旬から12月初め。イチョウの葉っぱが落ち、イルミナーションが始まるまでの二週間程度の期間で、見所が少なく観光客が少ない季節ですが、公園がもっとも落ち着きをみせている時期だと思います。毎年その時期に、クレーン車を使ってイチョウ樹最上部の刈り込み作業をしています。これを見ると、ああ、いよいよ冬だな、なんて感じています。



    近所ということもあり、休みのなど日は朝のジョギングで一周、その後立川の街に買い物へ行くため自転車で園内を通過、途中気が向いたら芝生の上でねっころがって、午後に犬の散歩なんてペースで利用しています。朝のジョグは入園しないことが多いけど、まぁ、休日は二度三度利用しています。春や秋など、季節の良い時期は一日中公園に居ることも少なくありません。木々に囲まれているのが結構好きな性分なようで、小中学校の時は、学校サボって一人で多摩湖の森に潜み、緑の中でボーッ、としたり本を読んでいました。すると頭の中に、空飛ぶじゅうたんはどうやって曲がるのとか、木でエンジン作れないのかなとか、次々いろんなことが思い浮かんでは消えていき、どれもしょうがないことばかりですが、自分にとってその空想の時間がすごく楽しいものでした。今、この歳になって、当事と同じ感覚になるわきゃ・・・、それが案外なっていたりします。まずいかもしれない。オトナニ、ナラネバ。

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  • Posted by 千代吉 at 12:12Comments(0)思ったこと

    2010年03月08日

    マルコフ連鎖?

    ちょっと前ですが、モノレールの砂川七番駅にこんなポスターが張ってありました。統計数理研究所?の公開講座「Rによるテキストマイニング入門」「マルコフ連鎖モンテカルロ法の基礎と実践 」日本語?緑町あたりにはこの研究所をはじめ、自治大学・国立国語研究所・極地研究所など、むずかしそうな施設がたくさんあります。いくつかの施設は市民向けに一般公開などを行っているようです。昨夏の極地研究所の一般公開はテレビで紹介されてこともあり、たくさんの入場者が来たとのことで、氷点下30度体験が人気だったらしいです。地元民のわたしが行ったことないのはなんか悔しい気がするので、今年は是非と考えています。極地研究所は、夏にミュージアムができるといううわさを聞きました、本当であればこれも是非いきたいです。数理研究所にお世話になることは、ちょっとなさそうです。ついでにネットで近隣の各施設を調べて見ました、緑町には東京地裁立川、東京拘置所、海上保安施設センター。立川駐屯基地や昭和記念公園もそうですね。地裁はオープン直後に、ピカピカの法廷などを見学させてもらいました。





    あと昭島の東町になりますが、短大跡地に多摩テクノプラザなんていうのもできたようです。一般公開が終わったばかりだ、残念。思い立ったら吉日ってことで、早速メールで極地研究所と国文学研究所に見学などの問い合わせをしました。どちらも翌日には回答が来てました。極地さんは、通路にある剥製など展示物が開所時間中であれば自由に見学できます。夏ごろ一般公開を検討中です。とご返事をいただきました。国文学研究所さんも2月に歌仙絵(?)の展示、4月中旬から「和書のさまざま」の展示案内などを親切にいただきました、有難うございます。ネットでいろいろ調べていたら、地裁の傍聴券交付情報なんていうのをみつけました。これも行きたいな。全部平日なのに千代吉さんってヒマですね。ハイハイ暇でございます。

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  • Posted by 千代吉 at 12:12Comments(2)立川の謎?の施設